雪乃ブログ

心臓が止まってから 第二話 ~脳低体温療法~

私の心臓がどうやら、止まっていたらしい、
と、医師の言葉で状況を理解した私は、
それまでの自分の行動を思い出せる限り、
記憶をたどってみました。

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事の始まりは、2月6日(木)の朝、
その日はジェントルタッチ筋反射マスターコースの初日でした。

そして、夕方には、インテグレート・ヒーリングの創始者マチルダが
イギリスから来日する日でもあったので
私はクラスが終わってからスタッフと共に
マチルダを迎えに行く予定にしていました。

朝9:30に弟の浩二が出勤していたので
朝のミーティングをするべく、会社に向かおうと思ったのですが
何となくその日は身体がだるくて、タクシーに乗り込みました。

そして、まさに会社の前に着く寸前に
突然目の前が貧血の時のように真っ暗になり、
意識が遠のいていくのがわかりました。

「電話番号を教えてください・・・」
と、遠くで運転手さんの声が聞こえていたような・・・

次の瞬間、お腹に激痛が走り、
「お腹が痛い~!!」
と叫んでどたばたしました。

「お腹のどの辺が痛いのですか?下腹部?それとも上の方?」
と、聞かれ
「下腹部~!」
と叫びました。

今にして思うと
タクシーの運転手さんが救急車を呼んでくれたのでしょう。

そして、救急車の中でお腹が痛いとあばれ
救急隊員の人にいたい場所を確認されていたのでしょう。
(医師によると心臓の痛みの場合、
 身体の他の部分に痛みを感じることがあるそうです。)

後から聞いた話しでは、
その後救急車で運ばれて病院の受付で
自分で「お腹が痛いです。」と
自己申告し、

その後、ばったりと倒れて
心肺停止に・・・。

あとで、同じ病室になった人が
偶然にもその場面に遭遇していて、
私の周りには人だかりができていて
「もう、だめか!?」
と声が飛んでいたとのこと。

家族の所にも救急隊員から電話が入りました。
通常は昼の時間帯に家にいることの少ない両親は、
この日たまたま来客があり、二人して家にいました。

「娘さんが病院へ運ばれました。すぐに来てください。」

母が受話器を手でふさぎながら、
電話の内容を父に伝えると
父は最初、オレオレ詐欺かと勘違いしたようでしたが(苦笑)
すぐに状況を飲み込んで、病院へかけつけてくれました。

その後、オフィスで私の来るのを待っていた弟は、
私が来ない中、セミナー参加者の対応をしてくれていました。
途中、両親から電話が入り、私の状態を聞くと、

「病院?!ど、どうしたの?」

「心肺停止、したらしい・・・。」

「え!?心肺・・・停止・・・?」

その後、引きつった顔でセミナー参加者のもとへ戻り、
心肺停止、と言うことは伏せて、
私が病院へ運ばれたことを伝えました。

病院で倒れた私は、心臓マッサージや人工呼吸をされ
その間、2分間心臓は止まったままでした。

5分間以上心臓が止まって脳に酸素が行かなくなると
脳に障害が残る可能性が高くなり、
8分を超えると蘇生率はほぼ0%だそうです。

病院以外の場所で心停止が起こった場合、
命をとりとめて退院できるのは、
わずか5%に満たず、
その場合も多くの人で脳に障害が残ると言われています。

私はラッキーなことに
タクシーから救急車そして病院へと
移り、倒れて心肺停止したのが病院だったというのも
不幸中の幸いでした。

それでも、いったんは心臓が止まり
脳に酸素が行かなくなったのは、事実。
脳は、他の臓器よりももろく、脳に酸素が行かなくなると
組織が死滅し、脳全体がむくんできます。

頭蓋骨と脳の間にはそれほど隙間がないので
脳が浮腫んでくると、圧迫され損傷が起こることにより
障害が残る可能性が出てきます。

私の場合は、そのむくみを避けるため
「脳低体温療法」という処置が行われました。
体温を34度にキープするため身体の周りを
冷えるようなもので敷き詰められて
至る所に管が付いていたそう。

そして、そのまま二日間冷やされて、
そのあとの二日間で体温を一度づつ上げていって
目を覚ましたのが、4日後だったというわけです。

目を覚ましたときには、
私の脳に後遺症が残っていないか、
医師によるチェックがたびたび行われました。

初日は、手も思うように動かせず、
特に左手がうまく動かないのです。
おかゆやゼリーばかりの食事を取ろうにも
スプーンが上手く持てずにこぼしてばかり。

自分ではしっかりしているつもりでも
家族に後から聞いた話しによると、
目はずっと半眼。
うつろな目で話しが聞こえているのかどうかも定かでは無い様子。
時々つぶっては、時々半眼。

『後遺症は、大丈夫なんだろうか?』

と、正直不安だったそうです。

モルヒネの一種である麻薬のように強い薬も
使っていたそうで、目覚めたばかりの私は
意識がもうろうとしていたのかも知れません。

食べている最中も左手を全然動かしていなかった私を見て
主治医は、

「両手を前に出して、目をつぶって・・・。」

と、私の両手がちゃんと機能しているかを
チェックしていました。
ちゃんと両手を挙げていられたので、
脳の損傷は無いようでしたが、
左手の力が入らなかったので、
それを心配していました。

自分の両腕を見てみると、
腕は注射器の射した跡だらけで、ま紫になっていました。
『うっわぁ~、麻薬中毒患者みたいだ~!』

途中、刺し傷を数えたら、その数40箇所以上。

そして、口は管をずっと入れられて、点滴で水分を補給していたので、
喉は、炎症を起こし、唇の皮はむけて
口角は切れて歯茎も腫れていました。

喉がいまだカラカラで
でも、水を飲もうとしても
むせてしまって飲めないし、

噛むようにちょっとずつ飲んでも
咳き込んでしまう始末。
さらには、咳き込むと心臓マッサージをされた
肋骨に響き、激痛が走り、

「胸が、肋骨が痛いんです!」

と看護師さんに訴えると、
「まぁ、心臓マッサージでは、骨の内側にある心臓に刺激を与えるわけだから、
そうとう、力を入れて押すので、肋骨が折れる人も結構いますからね。」と。

『これ、絶対に肋骨にヒビが入ってるよ~(泣)』
ちょっと触っただけでも、すっごく痛む。
咳しても痛む。横になっても痛む。
あ~ん、痛いよう~。

けれども、看護師さんに「がんばって痰を出してください」、
といわれ、母に肋骨が動かないように胸と背中を
挟むように圧を加えてもらってやっと痰を出すと
血を含んだ血痰が出てくる。

『私、大丈夫かな?』
と自分の状態に少し不安になってました。

浮腫んだ自分の手をみると、
縛られていた手首の皮がむけて
ボロボロになっていました。
『こりゃ、よっぽどあばれたな、私・・・。(苦笑)』

私は、一体どうしちゃったんだろう・・・。

その晩は、家族が帰った後、
ひとり残された病室で、
嫌なことばかりが頭をよぎり、
一睡もできずに、一夜を過ごしたのでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

長くなってしまったので、
第三話につづく

 

 

 

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